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124話 オモコロ20周年

 オモコロ20周年のイベントに行った。予定が入れられるところとして偶然入れたがよくよく考えたらイベント初日の早めの時間だった。気合いが入っている。秋葉原UDXとか久々に行った。 自分はそんなに昔からオモコロを見ていたわけではない。ちょうど恐山(いつも敬称有無に悩むが今回はつけないで一貫することとする)が新入社員としてBHBに入ってきたあたりから知った気がする。髑髏の杖を持っていてなんなんだこの人はと思った。書いているうちに思い出してきたが、会社にARuFaに似ている人がいたのがきっかけだったと思う。最初はアルファツイッタラーという概念と混同していた。あと何故かARuFaの顔が出ている旅行のDVDを購入して持っている。 ということはもうすぐ読み始めて10周年ということか…。恐ろしいなあ。 仕事の疲れをよく癒してもらっていた。さまぁ〜ずが好きで、内Pが好きで、増田こうすけが好きな自分にとってはなんだか肩の力が抜けてほっとする笑いだった。 菓子盆が好きで、インターホン選手権が好きで、即買いコーディネートが好きで、スーパーポテトバトルが好きで、本を読んでみたが好きで、マッククルーが好きでお酒由来当てが好きで今週のまとめが好きだ。最近のやつだとカラオケとモンナイ刑事(???)で涙出るほど笑った。あれだけのことを常に考え続け産み出し続けなければならない、そら恐ろしい仕事だと思う。逆に合う人にとっては天国だろうとも。オモチャンは開始時から観ている。生放送を除いて一応一通り観ているはず。それぞれの考える世界・作るモノコトヒトが好きだ。それと両立する激辛我慢とかチャオチャオの真っ直ぐな爆発力も好きだ。けどリアルイベントにはいまだに応募するまでの一線を越えられない。なんとなく、メディアという一幕を挟んで対岸から観ていたい気がする。心臓がもたないだけかもしれない。 今日のイベントで、列に並びながらなんか見たことあるスキンヘッドだ…と呆然と目であっていたら視線が合って、それはやっぱり長島さんで、やわらかく笑って軽く、でもしっかりと立ち止まって会釈いただいた。なんとか慌ててお辞儀を返したものの口は半開きだし態度は不審だったと思う。我ながら呆れる感想だが、大人だ…。と思った。仕事上で他者と相対して、相手を不安にさせない人(オモチャンでの言動を知っていると反動がすごい)。会場をゆっくりと...

123話 山場

 人生のひとつの山場に差し掛かっていると思う今日この頃である。今までにない重大な決断をしたり、普段考えたくもないような真面目なことを考えたり、大いなる宿題を課されたり、等々。 日常的に常に決断をし続けるのは苦手だ。何かを選ぶことはそれそのものにカロリーを使う。それはさすがに疲れちゃうので二度以上同じことを決断しなければならないようにはせず、なるべく減らせるものは減らす。迷いを減らす。大層な物言いだが要は物の置き場所を固定したり緊急時に必要なものはいっそ常に鞄に放り込んでおいたり省略できる作業を整理したり、そういう些細なこと。 ただまあそれはそれとして、たまーに判断しなければならないことがあり。障害にぶつからないように工夫すると逆にいざぶつかったときの対応力が衰える。それもちとこわい。どうしたもんかね。仕方ないから考えてるけど。 疲れたので映画を観に行った。チェンソーマンのレゼ篇。頭からっぽにして楽しめてよかった。爆発移動かっけー。

122話 ムラ

 最近なんやかんやで公私の私ばかり忙しくどたばたしていたらあっという間に涼しくもなるし10月に入っていた。呆然。ジャンケットバンクを読み返している。面白い。ルールわからんのに。ひたすらかっこいい台詞と幕間のほのぼのやりとりを見て癒されている。家でぼーっとしたい…。

121話 家蜘蛛

 虫は苦手だ。なにを考えているのかわからないし、うぞうぞしているし、節足だし、小さくてつぶつぶした状態で大量に集まっていることもあるし(恐怖心展の話参照)、這い上がってくるし、勇猛果敢にも顔のあたりに飛び掛かってくるし。 でもなぜか家蜘蛛だけは怖くない。というか慣れている。つい今しがたもPCに向かっていたら視界の端に黒い点があって、すわ蚊かと身構えたらちいちゃい蜘蛛でなあんだ、となったがよく考えたらおかしな話だ。理由は明白で、小さい頃から家蜘蛛は大事にするほうがよい、と言われていたからだ。小さい虫とかを捕まえて食べてくれる益虫なので。巣は張るけど。よくキャタピーと名付けて眺めていた。何年にもわたって実家でちいちゃい蜘蛛を見て毎回キャタピーと名付けていたので、きっと何代もキャタピーの名前を襲名していたことだろう。蜘蛛は基本壁を歩いていて自分の方に飛んでこないのも大きい。 慣れとは恐ろしい。でもハリポタとかである巨大蜘蛛に実際会ったらそれはそれでひっくり返るとは思う。家蜘蛛にもまったく緊張しないわけではない。眺めつつ干渉せず共にある。 先ほどの蜘蛛は天井へと登っていき、いつの間にかいなくなっていた。おそらく電灯の中に入っていったのだろう。焼け死なないことを願う。

120話 入眠失敗

 たまに入眠失敗することがある。しっかり疲れていても、起きたのが早くても。布団に入る前に眠くなかったわけでもないのに。今日みたいに。 緩やかな坂を転がっていって、先に見えるあの穴に入るんだろうなーと思って近づいていたのに、何かの拍子でそれをひょいと飛び越えてしまって、あれあれ、とそのまま転がり続けてしまっている感じ。 あまりないけど一度そうなると後が長い。足の火照りが気になってくる。枕がしっくりこない気がしてくる。掛け布団の衣擦れに妙におさまりが悪くなる。 一度水を飲みにいってもいいが、もうすぐ夜が明けそうだ。目は休めたい。記録をやめて目を閉じ、久々に暗い中羊を数えてみることにする。今でもうまくいくだろうか。

119話 こわいもの

 先日の話だが渋谷で恐怖心展いったあとに上野に移動し藝大の学祭に行った。どちらも人がなかなかすごかったが面白かった。 恐怖心展は常にがやがやしてるし並んでいる人も多いためか特に怖くなかったが、展示を見ながら同行者とあれやこれや話すのが楽しかった。怖いものは千差万別で、同じものが怖くても理由や原因は違ったりする。誰もいない中一人でまわったらそれはさすがに結構怖いと思う。 藝祭では神輿や学生の制作物を見た。神輿、立体物でどこからどう見ても逐一画がキマっていて美しいからすごい。立体では鉄の棒?を溶接?して海の入り江の波を表現しているように見えたやつが好きだった。 ちなみに絵の展示棟を見ていたとき、都会の夜景の絵があって表現の仕方はすごくいいなと思ったのだが、絵具でぷつぷつと等間隔でいっぱい置いてある、光る窓を表現している部分を見て、ああ自分はこれが怖いのだなとふと気づいた。不快でもあるけど、恐怖が勝つというか、生理的に受け付けがたい感じがあって鳥肌がたっていた。そういえば何度か見た悪夢の中で「自分の腕がぷつぷつしてきて見ているうちにマグマのようになりどろどろに溶けおちていく」というものがあり、関連するものを感じる。等間隔で細かい立体的なぶつぶつがずらっと並んでいる状態が自分は怖い。先に恐怖心展に行ったおかげでそういう点に鋭敏になっていた気がする。行ってよかった。 帰り際、祭りも片づけに入る中で夕日を浴びながら出店のかき氷を食べた。友人たちもかき氷食べたりソーダ飲んだりしていたので写真を撮った。近くではバイオリンで千本桜が演奏されていて人が集まっていた。地面に落ちる影を眺めていたら溶けたかき氷の欠片が足元に落ちていった。まぶしいくらいに夏の終わりだと思った。

118話 ポテサラ

昼ろくに食べてなかったので主に野菜とタンパク質に飢え、野菜と卵を買って帰った。家にじゃがいもがあるのでポテサラとオムレツにした。 普段疲れて帰ってから料理はしたくないと思ってきていたが、今日はふと「どうせ帰ってぼーっと漫画読んだり動画観てるくらいなら同じ時間で実況聴きながら料理も生成したほうがいいのでは…?」となりやってみたらやっぱり充足感があった。明日以降の食糧貯蓄もできたし。小一時間なので疲れるほどでもないし。じゃがいもは潰したけど。 料理前は順番やら在庫やらを考えるが、いざ手を動かし始めると頭がわりとからっぽになっていい。レシピも特になく、分量もろくに計らない。それがいい。 ポテサラはおろしにんにくを入れるのが好きだ。スパニッシュ。